日田祇園祭おおまかなスケジュール

下記以外にも小屋入りから様々な準備工程を経て祭り当日を迎える。

7月1日
山鉾の建造開始を「小屋入り」という。この日から本格的な作業に取りかかる

1週間前
「神輿洗い」

禊(みそぎ) 行事として行われる。
日田祇園祭一週間前の土曜日深夜から行われ、 三隈川で白木の御輿を洗い清める

「流れ引き」

今年の山鉾を町内に披露し、併せて車や台の具合を調べる

集団顔見世
7/16 18:00~20:30(予定)

日田祇園祭

7/22(土)、23(日)
日田祇園祭には御輿の神幸や山鉾の巡行が行われる。
当日、山鉾は自分の町内を一巡 (町内押し)して祇園社に奉納し、神輿に従って所定のコースを巡行する
「晩山」:山鉾は夜になると提灯を点けて巡行し、氏子の気勢も最高となる

7月24日
「薮入り」

日田祇園祭に参加したみんなで、祇園行事が無事済んだことで町内毎に慰労をする

【豆田の起こり】

江戸時代の慶長6年(1601年)、小川壱岐守光氏が丸山城と称して月隈山(現・月隈公園)に築城しました。そのとき、城の東側に十二町村から商家を移して町が開かれました。元和2年(1616年)には、譜代の石川主殿忠総が丸山城を改築して永山城と改め、城下の武家屋敷を花月川の対岸まで拡大し、豆田町としました。
 その後、幕府の直轄地「天領」となり代官所が置かれ、昇格し西国筋郡代役所になり、九州の政治・経済の中心として栄えました。また、幕末には廣瀬淡窓が咸宜園を開き、全国から塾生が集まってきました。

【豆田上町】
 上町の山鉾は、日田祇園山鉾では唯一うしろ人形が乗ります。上町には3枚の見送り幕があります。今年(2023年)は1888年(明治21年)製作の鷲です。  伝統ある華麗な後姿もご高覧ください。
見送り『鷲』
明治21年(1888年)製作
【港町 】
 港町の山鉾は、巡行距離も長く、平成29年復元新調の高さが自在に変えられる可変式の山鉾が町内各所をくまなく回ります。  併せて、平成22年に復元新調した「見送り幕」は必見です。
見送り『牡丹に唐獅子』
平成22年(2010年)復元新調
【豆田下町】
豆田下町の山鉾は、平成30年に復元新調をしました。四本柱が伸縮することで最高7.4mの高さとなります。  平成27年に見送り幕と水引幕も復元新調をしたことで、豪華絢爛な山鉾となりました。ぜひご高覧ください。
見送り『鳳凰』
平成27年(2015年)復元新調
【中城町 】
 昭和61年に30年間途絶えていた山鉾を町内有志と町民の支援により復活させ、令和元年には文化財保存事業の一環として34年ぶりに山鉾本体を復元新調しています。  また、見送り幕は平成28年に復元新調しています。  令和2~4年は、残念ながらコロナ禍でやむなく中止せざるを得ませんでしたが、令和5年は4年ぶりの山鉾巡行となりました。
見送り『玄武』
 平成28年(2016年)復元新調
【隈の起こり】
文禄3年(1594年)に、豊後日田・玖珠2万石の蔵入地代官を務めた豊臣秀吉配下の、宮本豊盛(長次郎)が日隈山(現在の亀山公園)に城を築き、その対岸に開いた城下町が起源です。  慶長元年(1596年)には、後に豊後佐伯藩の初代藩主となる毛利高政によって、現在の町割りの原型が作られたと言われています。当時は、現在の中本町、隈1・2丁目を二重の堀と土塁で囲み、要所に木戸門を設けて朝夕に開閉していたと言われています。
【川原町】
 川原町の山鉾は、平成24年に水引幕を120年ぶりに新調しました。睨みあった龍と虎が勇壮で躍動感ある姿に刺繍されており、豪華絢爛に仕上がっています。
見送り『素盞嗚尊大蛇退治』
平成8年(1996年)製作
【三隈町 】
 三隈町の山鉾は、町内の皆さんはもちろん、町外から協力してくれる方々と一致団結して魂を込めて製作しています。  特に提灯の明かりのついた夜の山鉾の趣を皆さんに感じていただきたいと思います。
見送り『龍』
昭和60年(1985年)製作
【大和町】
 大和町の山鉾は、100年もの間活躍した山鉾が平成22年に勇退したことをきっかけに、平成23年に新調されました。  高さ10mの新しい山鉾をぜひご覧ください。
見送り『巌上の虎』
 復元新調 新幕(平成20年)
【若宮町 】
 若宮町の山鉾は、昭和12年に一旦途絶えましたが、昭和54年に復活し、平成25年に新調されました。  見送り幕の獅子に負けない迫力の巡行をご覧ください。
見送り『唐獅子』
 昭和58年(1983年)製作
【平成山鉾 】
 今年(2023年)に34年目を迎える平成山鉾の始まりは、平成元年の『福岡よかトピア』に出演するため高さ10mの山鉾を造ったことです。「高さ10mの山鉾を本格的に復活させよう」との気運が高まり、平成2年に完成しました。  平成28年(2016年)に日田祇園の曳山行事がユネスコ無形文化遺産に登録された記念イベントには、ともに登録された九州の4団体と福岡市役所周辺での巡行に参加しました。  令和元年(2019年)にラグビーワールドカップが大分で開催された際には、大分県立美術館に約30日間展示し、日田祇園のPRをしました。
【日田祇園囃子 】
日田祇園に神事の風情を表し、かつ威勢をつけるためのお囃子は、笛・太鼓・三味線の音色で山鉾巡行に華を添えます。  曲目は、江戸から昭和初期にかけて流行した端唄・俗曲を山鉾の囃子にアレンジしたもので、山鉾巡行のために日田の庶民が生み出した素朴なお囃子です。  現在は保存会が結成されており、古くから伝わる伝統の音色を継承しています。

日田祇園の歴史・概要

日田における祇園信仰は、およそ500年前に悪疫鎮護の願いを込めて始められ、正徳4年(1714年)には現在のような山鉾が奉納されていました。
 祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)。豆田八阪神社・隈八坂神社・竹田若宮神社の三社の祭礼行事で、平成8年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
 これらの山鉾は、全て町内の皆さんの手作りによるものです。毎年、歌舞伎の一場面を題材とした飾りつけが行われ、日田唯一の人形師「長嶋静雄さん」の手により、各山鉾に乗せられた人形に命が吹き込まれます。
 平成28年には、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

◆日田祇園祭の由来
祇園社の祭神は牛頭天皇(ごずてんのう・素戔嗚尊すさのうのみこと)といい悪疫鎮護の荒神様 である。 日田には、隈・豆田や池辺・蕪・堤などに400~500年以上前から祇園社があり、それぞれ 祭礼が行われてきた。寛文5年(1665)頃には小規模な「舁き山(かきやま)」を作り、鉦 (かね)や太鼓をたたいて回っていたが、正徳4年(1714) 頃に隈・豆田で山鉾が作られるようになり、祭りは益々 盛んになった。
山鉾の最初の頃は小規模なものであったが、 山鉾技術の発達と、道路や家並みも整備されたこと で次第に高くなり、文化・文政期には高さ4~5丈(約12~15m) にも達した。隈も豆田も山鉾作りに 腕を競い、ラシャ地に金糸で刺繍された見送り・水引幕なども作られ、豪華さを競った。平成8年に 国の重要無形民俗文化財の指定を受け、現在、10m級の山鉾を含め9基の巡行が行われている。
そして平成28年12月、「日田祇園の曳山行事」を含めた全国18府県33件の祭りで構成する「山・ 鉾・屋台行事」が“日本の地域文化の多様性を示している”と評価され、国連教育科学文化機構(ユネスコ)が定める「無形文化遺産」に登録されました。

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