日田祇園祭おおまかなスケジュール
下記以外にも小屋入りから様々な準備工程を経て祭り当日を迎える。
1週間前
「神輿洗い」
禊(みそぎ) 行事として行われる。
日田祇園祭一週間前の土曜日深夜から行われ、 三隈川で白木の御輿を洗い清める
「流れ引き」
今年の山鉾を町内に披露し、併せて車や台の具合を調べる
7/19 18:30頃~(予定)
日田祇園祭
7/25(土)、26(日)
日田祇園祭には御輿の神幸や山鉾の巡行が行われる。
当日、山鉾は自分の町内を一巡 (町内押し)して祇園社に奉納し、神輿に従って所定のコースを巡行する
「晩山」:山鉾は夜になると提灯を点けて巡行し、氏子の気勢も最高となる
日田祇園祭に参加したみんなで、祇園行事が無事済んだことで町内毎に慰労をする
江戸時代の慶長6年(1601年)に、小川壱岐守光氏が丸山城と称して月隈山(現・月隈公園)に築城した際に、城の東側に十二町村から商家を移して町が開かれました。元和2年(1616年)には譜代の石川主殿忠総が丸山城を改築して永山城と改め、城下の武家屋敷を花月川の対岸まで拡大し、豆田町としました。その後、幕府の直轄地「天領」となり代官所が置かれ、昇格し西国筋郡代役所になり、九州の政治、経済の中心として栄えました。また、幕末には廣瀬淡窓が咸宜園を開き、全国から塾生が集まってきました。
上町には江戸期、明治期制作の三枚の見送り幕(鯉・龍・鷲)があり二年かけて『鯉の瀧昇り』の復元新調をおこない、今年の祇園祭で初お披露目です。
新調された豪華絢爛な見送り幕をぜひご高覧ください。
見送り『鯉の瀧昇り』
令和8年(2026年)復元新調
港町の山鉾は巡行距離も長く、平成29年復元新調の可変式の山鉾(高さが自在に変えられる)が町内各所をくまなく回ります。
併せて、平成22年に復元新調した「見送り」は必見です。
見送り『牡丹に唐獅子』
平成22年(2010年)復元新調
豆田下町の山鉾は、平成30年に復元新調を行い、7.4mの高さとなります。平成27年に見送り幕と水引き幕も復元新調を行ったことで、豪華絢爛な山鉾となりました。是非ご高覧ください。
見送り『鳳凰』
平成27年(2015年)復元新調
昭和61年に30年間途絶えていた山鉾を町内有志と町民の支援により復活を果たし、令和元年には34年ぶりに山鉾本体を文化財保存事業の一環として復元新調しています。また、見送り幕も同様に平成28年に復元新調しています。
見送り『玄武』
平成28年(2016年)復元新調
文禄3年(1594年)に、豊後日田・玖珠2万石の蔵入地代官を務めた豊臣秀吉配下の、宮木豊盛(長次郎)が日隈山(現在の亀山公園)に城を築き、その対岸に開いた城下町が起源です。
慶長元年(1596年)には、後に豊後佐伯藩の初代藩主となる毛利高政によって、現在の町割りの原型が作られたと言われています。当時は、現在の中本町、隈1・2丁目を二重の堀と土塁で囲み、要所に木戸門を設けて朝夕に開閉していたと言われています。
川原町山鉾の見送りには、厄払いの神様として知られる素盞鳴尊が剣を振りかざした姿の刺繍がされ、優美な姿を誇っています。
見送り『素盞鳴尊大蛇退治』
平成8年(1996年)制作
三隈町の山鉾は、町内の皆さんは勿論、町外から協力してくれる方々と一致団結して魂を込めて製作しています。特に提灯の明かりのついた夜の山鉾の趣を皆さんに感じていただきたいと思います。
見送り『龍』
昭和60年(1985年)制作
大和町山鉾は、明治末期より使用されていた山鉾を、平成23年に高さ10mの山鉾で新調し、現在その山鉾巡行しています。今年の背面・側面を彩るのは、上横町(大和町2丁目)所有の見送り幕『岩上の虎」、水引き幕「龍」です。いずれも江戸末期に製作されたものを、平成19年度に国の民族文化財伝承・活用等事業により、江戸当時の製法で復元新調されたものです。祭典当日は、見送り・水引き幕を装着しての巡行になります。創建当時を思わせる荘厳で豪華絢爛な山鉾の巡行を是非ご覧下さい。
見送り『岩上の虎』
江戸末期制作
若宮町山鉾の助板には書道家千原艸炎氏に揮毫をお願いし悪疫退散の願いを込めた「祥風」の文字を彫り込んでおり、外題の力強い文字も同氏に依るもの。山鉾復活から47年、世代交代も進んでいますが、祭り好きの老若男女に市内外の助っ人も多数加わり酷暑に負けず伝統行事を盛り上げます!!
見送り『唐獅子』
昭和58年(1983年)制作
今年の平成山鉾は、戦国時代最後の大合戦として知られる大坂の陣を題材に制作致しました。外題は「大坂の陣、真田丸激闘の場」天下統一を成し遂げた徳川家康を豊臣家再興を目指す豊臣秀頼・真田幸村らの間で繰り広げられた、激戦の場を表現しています。
また、本作品には山鉾文化への敬意と、地域の発展を願う平成山鉾振興会の想いも込められています。平成山鉾が描く壮大な歴史絵巻をごゆっくりご覧いただき、日田祇園祭の華やかなひとときをお楽しみください。平成山鉾は、大和町和風料理「海王「館」横の駐車場に展示しております。
日田祇園において神事の風情を現しかつ威勢をつけるためのお囃子で、笛、太鼓、三味線の音色で山鉾巡行に華を添えます。
曲目は江戸から昭和初期にかけて流行した端唄・俗曲を、山鉾の囃子にアレンジしており、山鉾巡行の為に日田の庶民が生み出した素朴なお囃子です。
現在は保存会が結成されており、古くから伝わる伝統の音色を継承しています。手作りの篠笛による独特の音色をお聞きいただきたいと思います。
本年の平成山鉾の運行日は7月25日(土)、夜8時からの開始を予定しております。ぜひ皆さま、夜の幻想的な平成山鉾を見にお越しください。
日田祇園の歴史・概要
日田における祇園信仰は、およそ500年前に悪疫鎮護の願いを込めて始められ、正徳4年(1714年)には、現在のような山鉾が奉納されていました
祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)。豆田八阪神社・隈八坂神社・竹田若宮神社の三社の祭礼行事で、平成8年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
これらの山鉾は、全て町内の皆さんの手作りによるものです。毎年、歌舞伎や人形浄瑠璃の一場面を題材とした飾り付けが行われ、日田唯一の人形師「長嶋静雄さん」の手により、各山鉾に乗せられた人形に命が吹き込まれます。
平成28年には、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
祭礼への流れ
7月初旬
■小屋入り行事
作業始めとして祭に参加する全員で御神酒上げを行います。
■色あげ作業
解体された山鉾の館等の色を塗り直し、金紙を使った欄干の金具等を貼り替えます。
■パイパイ染め
山鉾の高欄の両側に挿すパイパイを、塗料で染め乾かします。
2週間前
■車揚げ
木製の山鉾の車輪は、普段池の水の中に沈められており、山鉾の組立前に池から引き上げます。
■山鉾組立(飾り付け)
色揚げされた館や、車輪等が組み立てられ、パイパイや手作りの松ノ木、牡丹等を飾ります。
1週間前
■御輿洗い神事
■人形乗せ
各町内に振り分けられた華題の人形を、人形師の指図の元に山鉾に乗せます。
■山番
各山鉾の納所で夜警が始まります。
■流れ曵き
山鉾のバランスや車の調子を見るための試運転を行います。
■集団顏見世
流れ曳きの日に、豆田4基と隈・竹田4基に平成山鉾を加えた計9基の山鉾がJR日田駅前へ集結します。
当日
■祇園祭典(土日2日間)
豆田地区、隈・竹田地区の各地区ごとに山鉾が巡行されます。
翌日
■山鉾崩し
各町ごとに山鉾の解体や、祇園山鉾会館への収納等の作業を行います。
■仕舞い勘定
掛け振り帳で購入した物の支払いや、山鉾に上がった清酒等が清算されます。
■数入り
打ち上げを兼ねて慰労が行われ、一切の祭の行事が終わったとされます。
◆日田祇園祭の由来
祇園社の祭神は牛頭天皇(ごずてんのう・素戔嗚尊すさのうのみこと)といい悪疫鎮護の荒神様 である。 日田には、隈・豆田や池辺・蕪・堤などに400~500年以上前から祇園社があり、それぞれ 祭礼が行われてきた。寛文5年(1665)頃には小規模な「舁き山(かきやま)」を作り、鉦 (かね)や太鼓をたたいて回っていたが、正徳4年(1714) 頃に隈・豆田で山鉾が作られるようになり、祭りは益々 盛んになった。
山鉾の最初の頃は小規模なものであったが、 山鉾技術の発達と、道路や家並みも整備されたこと で次第に高くなり、文化・文政期には高さ4~5丈(約12~15m) にも達した。隈も豆田も山鉾作りに 腕を競い、ラシャ地に金糸で刺繍された見送り・水引幕なども作られ、豪華さを競った。平成8年に 国の重要無形民俗文化財の指定を受け、現在、10m級の山鉾を含め9基の巡行が行われている。
そして平成28年12月、「日田祇園の曳山行事」を含めた全国18府県33件の祭りで構成する「山・ 鉾・屋台行事」が“日本の地域文化の多様性を示している”と評価され、国連教育科学文化機構(ユネスコ)が定める「無形文化遺産」に登録されました。





